2010年~。現在、最もメインとして制作している作品。
装飾的に仕上げた「美人画」に独特の線描を重ね、時間の推移による動きの変化と、同時に一見華やかに見える事物に異なる要素を足すことで、人によって異なる認識の曖昧さ、本質の不確定性を表現している。
現代のネット社会では、同じ人間が幾つもの顔を持ち、本人と周囲の“現実”そして“本当の自分”というものに対する認識が異なることが度々ある。
箔とシンボル化した装飾で平面的に構成した画面の中に、敢えて空間と時間をを盛り込むことで、限られた画面の中で一義的な意味を確定しない形を可視的に提示し、同時に確定した要素と不確定的な要素を混在させ新たな現代絵画を試みている。
■線描を重視した装飾的でないタイプの作品について(画像は下の方)
独特の線描を重ねることにより浮き出る何処か現実味のない人物像。
平面的に構成した画面の中にあえて空間と時間をを盛り込み、麻紙を貼ったパネルという限られた画面の中で、一義的な意味を確定しない形を可視的に提示する試みは、落ち着いた色味による安心感と裏腹に、何処か危うい不安定さを持ち合わせる。
混沌とした中にも涅槃を感じさせる画面を意識し、時間の推移による動きの変化と、それに伴う存在の認識の曖昧さを表現している。
構成する要素と素材の意義
■ 平面へのこだわり
平面をあくまでも平面として捉えた画面作りは、自分が日本人であるという意識からである。独自の平面表現を遂げてきた日本の美術や文化は、古くは多神教を源とし在るものを在るがままに捉える、自然主義精神に由来するところがあると考えている。
■ 美人画を借りる
私は「美人画」を描いているのではなく、「美人画」というビジュアルを借りて制作している。
その理由として、女性の方が一般的に表裏が大きいこと、母・妻・仕事・ネット上など日常的に多くの側面を持つことにより、コンセプトにそぐうモチーフであると共に、作者自身が女性であること、単純に絵として美しいことなどがある。
■ 箔・岩絵具
素材は木製パネルに麻紙、アクリル絵具、水晶末、岩絵具、銀箔、紫朱など。
デジタル化やAI化が急速に進む中で、これらの技術では難しいもの、そして手作業による作品をデジタルデータとの差別化することができるものとして、箔や岩絵具は分かり易い素材の1つである。箔を貼る・硫化させる課程で出来る偶然性と、完成後も酸化や硫化で経年変化し続ける点、また岩絵具の物質性と絵具を塗る際の偶然性は、データ化が困難なものであり、アナログな制作における意義の1つであると言える。
■ 線
“線” は、実際には存在せず面上に於いて実現可能なものであり、引く・描く行為自体による身体性と、作家の見解や感情・癖等がより明確に表れる場所でもある。よって作者の存在を表す1要素であると同時に、上記のアナログな制作における意義の1つであると考える。
一筆描きと思われがちだが、線の方向性、動きや流れ、太さ、収まり方など、下図の時点でかなり時間をかけて決めている。
花嫁Ⅲ 130.3×162.0 (cm)
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花嫁Ⅳ 162.0×162.0 (cm)
交信の遮断Ⅱ -言わざる- 45.5×53.0 (cm)
花嫁 145.5×145.5(cm)